Soup Friends

Soup Friends Vol.67 / 西川美和 さん

まもなく新作『永い言い訳』が公開になる西川美和監督。ある日突然、妻を亡くした小説家(本木雅弘)を主人公に、監督自身の半生を大いに反映させた本作は、西川監督ならではの鋭さと良い意味でのしつこさで、観る者の心の中にも入り込み、誰しもが抱える未熟さや複雑さを見事にあぶりだしていきます。そんな本作を、今回は「食」をキーワードに紐解いてみました。家族や夫婦を描いてきた西川作品にとって「食」や「食卓」は欠かすことの出来ないシーン。西川監督はそこに、どんな思いや狙いを込めてきたのでしょうか。

──新作『永い言い訳』の準備をしている時、お子様がいらっしゃる家庭でごはんを一緒に食べたり、泊めていただいたりしたそうですが、食卓に並んだメニューで特に印象に残っているものありますか。

協力していただいた家族は3つで、何日か泊まらせていただいたのですが、食事は失敗作も含めて、どれもその家庭らしさが出ていて「家のごはんって、こういうものだよなぁ」と改めて思いました。その中のひとつに、夫婦共働きで自営業をされている家庭があったのですが、その家では食べることが好きな旦那さんが料理の担当で、保育園に通っている息子さんのお世話も忙しい奥さんに代わって旦那さんが一切やっていました。野菜の切り方や盛り付けは荒っぽくて、男性らしい粗雑な感じもあるのですが、白菜と豚肉を煮たものなど、その方が作るものは本当にどれも美味しかったですね。スライスされていないめかぶを丸ごと買ってきて、食卓にドーンと出した時はびっくりしましたが(笑)。

──そんなふうにいろいろな家庭の味を味わう中で思い出した、ご自身の懐かしい味、母の味はありましたか。

実は私、脚本や小説を執筆する時には実家に帰るので、母の作るものを今でも割とよく口にするんです。なので、この時にも特に思い出したりはしませんでしたが、やっぱり、食事の心配をせずに仕事のことだけを考えていられる環境はありがたいな、と思いました。実家に籠っている時は、お昼頃に起きて父と母が食べる簡単な昼食を一緒にとって、18時過ぎに夕食を食べてその後は朝まで仕事をする、という規則正しい生活を送っていますが、深夜にお腹がすいた時のために、お味噌汁だけ余分に作っておいてもらうことがあるんですね。それを夜中の12時くらいに温めて食べるのですが、深夜に食べるお味噌汁がまたおいしいんです。

──一度冷めた味噌汁をまた温めると、何とも言えないおいしさが出てきますよね。

そうそう、たまりませんよね。そしてやっぱり、無意識に母親のお味噌汁の味を再現しようとしている自分がいることに驚きますね。実にベタですが。お味噌汁はお店や家々で味が千差万別で、それぞれにおいしいけれど、自宅ではやっぱり自分の家の味のお味噌汁を飲みたい。結婚したてのカップルなんかがそういうところでもめたりするのもよく理解が出来ますね(笑)。

──西川監督の作品は、夫婦や家族のストーリーが多く、必然的に食事や食卓のシーンを撮る機会が多いと思うのですが、そういったシーンを撮る時に特に気を付けていること、こだわっていることはありますか。

私が描くドラマに出てくる家庭や夫婦はたいてい崩壊しかけているので、撮っているのも幸せが失われつつある食卓ばかりです。今回の『永い言い訳』もそうで、豊かな食卓は一度も出てきません。出来合いの中華丼、レトルトのカレー、コンビニのおでんなど、どれも非常に現代的な食ばかりで、さしておいしそうに撮っていないし、実際にいなくなった母親や妻の手料理のようなおいしさではないんだけれど、それらを小道具にして、それに頼らざるを得ない欠落した生活を描いています。コンビニのおでんを食べざるを得ない幸夫(本木雅弘)、それを温める秒数も分からない幸夫、小学生のお兄ちゃんが中華丼を買って来ざるを得なくなった兄妹の暮らし、レトルトのカレーでも、自分で炊いたご飯にかけたらおいしいよね、ということだったり・・・・。おいしそうに撮っていなくて申し訳ないけど、食材そのものが映画の語り部になってくれているのです。

──西川監督がこれまで描いてきた人物の中で、本木雅弘さん演じる幸夫は“一番自分自身に近い”とおっしゃっていましたが、原作の小説から映画の脚本もご自身で書かれていて、なぜそうなっていったのでしょうか。

幸夫は小説家で、私も小説や脚本を書くので職業設定的に“物語を作る立場”という非常に近い存在であることが、まずひとつあります。厳密には小説家と映画監督は違いますが、トラック運転手の陽一(竹原ピストル)とは違い、注目を浴びることもあるんだけど、実態としてはよく分からないものを作っているという点では一致しているし、共通するコンプレックスみたいなものは反映していると思います。
あとはやっぱり、私も幸夫もまったくもってまっすぐな人間ではないんですよね。人間には、陽一のようにストレートに感情表現が出来たり、別れを素直に悲しんで消化出来るタイプとそうでないタイプがあると思うんですが、私は明らかに後者で、いろいろな部分で「もう少しまっすぐだったらな・・・」と思うことがあります。でも、それは私だけでなく、人間だったら当然持っている複雑さでもあり、それをちゃんとキャラクターに投影させて描こうと思いながら作っていました。

──「今回の作品はこれまでの集大成です」とおっしゃっていましたが、それは、ここまでをひとつの区切りとして、何か別のことや違う挑戦をしたい、という意味だったのでしょうか。次はどんなステージを見据えていますか。

“今までの人生経験を生々しく反映した作品”という意味で、集大成と言わせていただいたのですが、次に映画を作る時は違うアプローチではないと別のところには行けないと思っています。それと、向こう10年は私小説のような作品は作らないと思います。10年くらい経つと生活実感がいろいろ変わり、40歳までの私には想像できなかったことがきっと体験できていると思うので、また新たな私小説が描けるかもしれませんが。

──40歳までに見てきたこと、感じてきたことは、この『永い言い訳』で出し切ったと。

そうですね。この映画で集約して出し切った感じはあります。だから、同じようなモチーフではもう作らないと思います。

──最後の質問として、皆さんに活動の“原動力”を伺っているのですが、西川監督の執筆や監督業の原動力になっているものは何ですか。

うーん・・・・難しいですね。いま一番それが分からなくなっているかもしれないです。若い頃は“怒り”だったと思うんですが、それが分からない時期に入っています。でも“映画によって生かされている”というのは実感としてあります。頼まれてもいないのにアイデアを絞り出し、それを書いたり撮ったりさせてもらうことで、何とか生きながらえている。
だから、やっぱり、生きるためには言い訳が必要なんですよ。書くのも言い訳。撮るのも言い訳。それはもちろん、良い意味でですよ。「明日打ち合わせがあるから」って言える幸せってすごいし、きっとみんなそうやって言い訳をしながら生きているはずです。上手く言えませんが、映画があるから私は生きていけています。これがなかったら死ぬと思います。本当に。でも、なぜその映画を作っているのかは未だに分からないのですが(笑)。

西川美和(にしかわ みわ)

© 「永い言い訳」製作委員会
1974年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中に是枝裕和監督作『ワンダフルライフ』(99)にスタッフとして参加。02年『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。長編第二作『ゆれる』(06)ではカンヌ国際映画祭監督週間に出品。『ディア・ドクター』(09)ではブルーリボン賞監督賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞をはじめ数多くの賞を受賞し、同年のキネマ旬報ベスト・テンで日本映画第1位となる。12年に『夢売るふたり』公開。最新作『永い言い訳』の原作である同名小説は直木賞候補にもなり、作家としても注目を集めている。

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