Soup Friends

Soup Friends vol.108/伊藤亜紗さん

想定できないものとの出会い
美学者、研究者として、目にみえない感覚を言葉にする伊藤亜紗さんが、
“恋する感情”の動きを辿って見るものとは。



― 恋について考えることは?

新鮮ですね。私は障がいを通して人間の身体の研究をしています。その理由として一人ひとりが違う身体であることに惹かれているのを考えると、この感覚は恋に近いものかもしれません。人を好きになると、その人の一挙手一投足が気になったり、癖や声がこの世界でひとつであることを愛おしく思ったり、夢中になって…それは私の研究そのものですね。
 興味があるものに没入するタイプなので、高校生の時も、ひとりで生物室に行って、ホルマリン漬けの生き物を写生していました。イイダコが好きで、ひたすら描いていて…あの頃から何も変わっていない(笑)。

― 大学の新たな研究拠点〈未来の人類研究センター〉では、センター長をつとめていらっしゃいますね。

はい。ここに集うみんなとは、雑談を大切にしています。会議にするのではなく、どこに向かうか誰も分からない、ゴールが見えない状態で雑談をしながら、研究の芽を見つけていくようなことがしたいんです。この前は、なぜか常磐線の話で盛り上がりました(笑)。
 センターの研究テーマは『利他』です。利他というと、一般的には、人に善いことをするという能動的な意味で使われることが多いと思います。でも、自分が“こうしたい”という計画を立てすぎると、相手のこともその範囲の中で見てしまう。本当に、利『他』であるためには、むしろ自分の中にスペース、余白を持つことが重要なのではないかと思います。なぜなら、余白を持つことで、その人がもっている色々な可能性や、本当に考えていることを引き出すことができるからです。一人の人の中に、自分には見えていない多様な面があるんだ、という敬意をもつこと。どうしたら、社会全体が計画やゴールに縛られずに人を大事にできるかということは、今の時代すごく重要だと思います。

― テーマも表現も独自の切り口をもつ伊藤さんの著書は、どうやって制作されているのでしょうか。

本を作る作業は、とても恋愛的ですね。担当編集者とは、一冊出来上がるまで、2~3 年くらい付き合うことになるし、編集者によってそれぞれ進め方も違うので、毎回「この方はどうやっていくのだろう?」と探っていきます。そういう人間関係や、どんな本にするかテーマを設定するのも恋愛に近しい感覚があって。2018年に発売した書籍『どもる体』は、私自身の吃音をテーマにしていますが、このテーマは自分では一切考えていませんでした。編集者との雑談から決まったのですが、私はそれまで吃音に向き合ってこなかったんです。でも編集者は、私にとってそれが重要なテーマであることを見抜いて、提案してくれた。そう言われて初めて、ここに向き合わないといけないんだと気がつきました。

― 恐怖心もありましたか?

最初はめちゃくちゃ怖かったです。向き合ったら、吃音の症状が重くなってしまうかもしれないと思ったので。ですが、今振り返ってみると、自分が目を向けてこなかった点に光を当てて、潜在的な可能性をうまく引き出してもらえたと思っています。文章を書いている時は、伝えたいというよりも、なんとか言語化していこうとしていました。まず自分がこの感覚を理解したいという思いもあったので。
 恋愛も相手を通して自分を知ったり、自分の弱点や欠点だと思っていたことが、相手によってポジティブなものに変わっていくことがありますよね。最初からお互いに思い合える関係よりも、自分の中に傷をつけた人に惹かれてきたような気もするし、必ずしもポジティブな感情から恋が始まるということでもない。初めに話したイイダコも人によっては“気持ち悪い生き物”ですよね。でも私は、気持ち悪いからずっと描いてしまう。描き続けることで、その対象の中に入ってしまいたいというか。

― 今、伊藤さんが興味を持っていることはどんな分野ですか?

“声”について考えてみたいなと思っています。『手の倫理』を出版した時、知り合いが共通の全盲の友達に聞かせるために、一章ずつ朗読してくれたんです。それがすごく嬉しくて、その音源は宝物ですね。自分の文章なのに、その人が音読しているのを聞くとまったく別なものになる。私の読者には全盲の方も多くいるので、声のことをもっと考えていきたいです。あとは、植物にも動物にも興味があるので、人間の身体ではない身体についても考えていきたいです。すべて研究になってしまいますね(笑)。

伊藤亜紗(いとう・あさ)

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は、美学、アート。障がいを通して、人間の身体のあり方を研究している。主な著書に『どもる体』(医学書院)、『手の倫理』(講談社)など。

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