Soup Friends

Soup Friends Vol.34 / 佐々木芽生さん

2010年に公開されたドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』では、NY在住の元郵便局員ハーブと、図書館司書のドロシーが慎ましい給料で世界屈指のアートコレクションを築きあげた軌跡が語られ、米国や日本をはじめ世界中で話題を呼びました。その続編となる『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』が3月30日に全国公開されたことを記念して、同作品の監督・プロデューサーの佐々木芽生さんにお話を伺いました。

──佐々木監督がNYでよく召しあがるスープ(汁物)があれば教えてください。

体調が優れずにデトックスしたい時には、野菜を中心にあっさりとしたスープを作ります。オリーブオイルでガーリックを炒めて、セロリ、人参、玉ねぎにキャベツなどを入れます。セロリには塩分が含まれているので、塩を入れなくても美味しいのです。キャベツも繊維が豊富で身体にいいですしね。あとは風味づけに、フレッシュなイタリアンパセリを刻んだものや、ディルを入れたり。たまにじゃがいもを入れることもありますし、ブロッコリーを入れる時には、絶対に5分以上茹でず、最後に入れるのがコツです。
元気がある時にはチキンを炒めてスープストックにします。昔は丸鶏を買ってお腹の中にハーブやスパイスを入れて出汁をとりました。できたストックは、製氷皿に入れて冷凍庫で固めておきます。大きな器に入れてしまうと、使う時に割るのが大変ですが、製氷皿を利用して小分けにしておくと、スープを作りたい時にさっと取り出して簡単にスープができるので便利です。キャベツや白菜、椎茸を入れて、中華風のワンタンスープも作れますよ。

──日本では価格が高い、米国ならではの食材を活かしたスープが楽しいですね。

そうですね。バターナッツスクワッシュ(米国産かぼちゃの一種)やズッキーニを入れたり、和風にする時はやはりお味噌汁。私は出身が北海道なのですが、幼い頃からよく食べていたえのき茸とお豆腐のお味噌汁が一番好きです。その次によく作るのは、玉ねぎとじゃがいものお味噌汁。ちょっと甘くて美味しいですよね。あとは、韓国のスンドゥブというお豆腐のスープ。スンドゥブに一時期すごく凝ったことがあって、いろいろなところでレシピを調べて自分で作ってみたりしたこともあります。あとはケールのスープやクレソンのスープなんかもよく作ります。クレソンを用いた簡単なフレンチ風スープをお教えします!まず、バターでガーリックを炒めます。バターが重かったらオリーブオイルに代えてもいいですね。そこに四角くキューブ状に切ったじゃがいもを入れて煮込んだら、最後にクレソンをサーッと入れて出来あがり。さっぱりとしているけどコクもあってとても美味しいですよ。日本ではクレソンも高くつきますよね。米国ではオーガニックのものでも両手で抱えるほどの束で1ドルちょっとくらいの価格なので、たっぷりと入れます。お鍋をする時もクレソンをよく使いますし、トマトも入れたりしますね。スープが一番簡単にできるというか、とにかく残っている野菜を切って、10〜15分くらいですぐにできちゃいますしね。冬場はスープを食べることが一番多いです。スープだけみたいな時もありますし、サラダを合わせることもよくあります。

──お仕事柄食事が不規則になることもあると思いますが、ロケに行かれる際の食事はいつもどうなさっていますか?

基本的には自分で作ったお弁当を持っていくようにしています。米国では食べるものもきちんと選ぶようにしないと、気づかずに食べ続けていたら病気になるんじゃないかと思うものも出まわっています(苦笑)。ですから、オーガニックのものを中心にするとか、食べるものにはものとても気を配っています。日本はすべてが美味しいので、日本に帰ってきたら制限なく食べます。たとえば喫茶店に入って食べるトースト1枚でもすごく美味しいですしね。ただ米国と比べるとサラダの選択肢が少ないように感じます。サラダがあったとしてもほとんどレタスがベースだったりして、バリエーションが少ないかもしれませんね。

──佐々木監督の作品は、いつも独自の配給方法をとっていらっしゃいます。佐々木監督初監督作品となった前作『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』公開の際には、有志を募って、ボランティア活動から配給が実ったそうですね。

はい。みなさんのご協力のおかげで、本当に有り難いことです。これもひとえにハーブとドロシーの魅力の賜物だと思います。ふたりのあの情熱やパッションは、とても純粋な愛情から生まれています。まずはアートに対する愛、そしてアーティストたちと彼らとの友情の愛、そしてふたりの夫婦愛。これらのピュアな気持ちが、人々の心を動かすのです。ふたりの心の美しさというか純粋さが映画から伝わったのであれば、それは本当に嬉しいです。それにみなさんが共感してくださったことをとても光栄に思います。
最初は、本作が日本に関係のない作品であることと、日本における現代アートの位置づけにはまだまだ高いハードルがあることから、配給会社の方々にも難色を示されました。しかし実際に蓋を開けてみたら、これだけ多くの方々に観ていただけたということは、実はアートに近いところで生活をしているという国民性が、日本人の気質として備わっていることが実証されたのではないかと感じました。

──長年、日本から離れて暮らしていらっしゃるからこそ、より痛感される部分もおありなのでしょうか?

そうですね。アートというのは、美術館とかギャラリーで見るものだけがアートじゃないと思うのです。アートを愛する気持ちというのは、美しいものに囲まれて暮らしたいということだと思います。そういう意味では、日本人は、小さなものでもいいし、少しでもいいから、可愛いものや美しいものを身につけてハッピーになりたい、というような気持ちがありますよね。たとえば、ネイルアートや携帯電話のストラップやデコレーションなんかもそういう現れだと思うのです。

──日本人である佐々木監督が本作を撮ったことで、少なからず作品にも影響している部分があるとしたら、それはどのようなところだと思われますか?

米国では「日本人が撮った作品」という表現をされたことは一度もありません。「ファーストタイム・フィルムメーカー(初監督作品)」とは言われましたけどね。前作『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』と続編『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』を2作とも編集してもらったバーナディン・コリッシュという編集者からは「日本人のあなただから、この映画が撮れた」と言われました。要するに、米国人と日本人とでは心を動かされるポイントが違うということだと思います。たとえば、小さくて可愛らしいおじいちゃんとおばあちゃんのご夫妻がいて、ふたりはごくごく普通の人で、何ひとつ派手なことをするでもなく、地道にアートを買い集めてきた。そして気がついたら、戦後最大規模のひとつと言われるコクションになっていた。でも、それでも自分たちは「どう?すごいでしょ?」という姿勢にならず、すべてを寄贈して、ご本人たちはいまも慎ましい年金暮らしをしている。もしも米国人監督が撮っていたら、「郵便局員と図書館司書の給料で、こんなコレクションを築きました!」というところにフォーカスが当たると思うんですね。でも日本人の私は、その先のストーリーにものすごく感動したのです。1点でも2点でも売ればすごいお金が入ってくるのに、それをしないで全部寄附してしまう。そして昔から変わらない1LDKのアパートで年金暮らしを続けるという。「この人たちは一体何なのだろう?!」と思うわけです。
 ハーブとドロシーの映画を撮ろうと決めた時も、ふたりを撮ろうとは思っていましたが、アートの映画を撮りたかったわけではありませんでした。ハーブとドロシーが集めていたものがたまたまアートで、2人がアートコレクターだったというだけで、もしかしたらふたりが鉄道マニアだったら違う映画になっていたことでしょう。しかし今振り返ってみると、それがアートだったことから見えてくるものもたくさんありました。「コンテンポラリーアート」(現代芸術)や「コンセプチュアルアート」(現代芸術の潮流のひとつで、思想性や観念性を重視した芸術)といった、一見難しそうなアートを集めてきた人たちの話を、アートに明るくない私が撮れるのかしら?と、何度も思いましたし、そもそも私自身にとってもコンテンポラリーアートは敷居が高いものでした。しかし製作過程において、「アートって何だろう?」ということを私自身が考えていくことになります。前作ではなるべくアートのことがわからない人にも愉しんで観てもらえるような間口の広い作品にすることを心がけましたが、続編ではより「アートとは何か?」という課題に、意識的に取り組んでみました。実際にいろいろ考えさせられましたし、私のなかでもアートに対する考え方が、どんどん変わっていきました。

──続編『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』の製作過程で、「コンテンポラリーアートの力」を佐々木監督ご自身が実感されたことがあったそうですね。

はい。私が最初に彼らの部屋以外で、コレクションを目にしたのはインディアナポリス美術館の展覧会でした。気がつけば5,000点にものぼるハーブとドロシーのコレクションを、寄贈先として選んだナショナル・ギャラリーが引き取れるのは1,000点が限界と判断しました。その結果ふたりは、2008年に「ドロシー&ハーバート・ヴォーゲルコレクション:50作品を50州に(50×50)フィフティ・バイ・フィフティ」と名づけた寄贈プロジェクトを発表します。50作品をひとくくりとして米国国内50州の各美術館に寄贈するという壮大なスケールの計画でした。続編ではこのプロジェクトを軸に据えて展開していくわけですが、そのひとくくりにした50作品のすべてが、膨大なヴォーゲル・コレクションのほんの一部であるのにも関わらず、実に立派な「ミニ・ヴォーゲル・コレクション」だったのです。つまり美術館が関わり、きちんとキュレーションされたことで、新たな価値や意味づけが加わり、すべての作品が額に入れられ、きちんと照明を当てられた「ヴォーゲル・コレクション」として、そこに並んだ時のあのエネルギーにはすごいものがありました。たった50点だけれど、それを見た時に、ハーブとドロシーが選んだ作品はやはり洗練されていて、ふたりの審美眼はすごいに違いないと実感したのです。それまではお部屋の中で梱包された状態の作品しか見ていませんでしたから(笑)。あの完成形というか集合体をしかるべき環境で見た時に、「This is ヴォーゲル・コレクション!」と痛感しました。

──前作と続編の2作品を通じて、佐々木監督が感じるハーブとドロシーの選ぶ作品の素晴らしさはどのようなところにありますか?

彼らが選ぶ作品=ふたりの人間性そのものです。まず、見た目もふたり同様、すべて小さいわけです。アパートに入るサイズであることが条件のひとつでしたから。美術館で開かれるような展覧会だと、ドーンとした規模の大きな作品が目玉にあることが多いなか、ふたりの選んだ作品たちは小さいけれどなんとも言えない美しさがあり、パワーがある。美術館で、展示された空間に入った瞬間に感じるあのエネルギーには圧倒されるものがありました。やはり、ハーブとドロシーってこんなにすごいコレクターだったのだと、ゾクッとしました。慎ましく控えめなふたりですが、ふたりの目できちんと選ばれた作品たちそれぞれの存在感と、それらが50点集まった時の力強さみたいなものに圧倒されたのだと思います。まさに、ヴォーゲル・コレクションの世界にひとたび足を踏み入れたら膝から落ちるような感覚があって、ハーブとドロシーの偉大さを身にしみて知り、ふたりにしか成し得なかったことだったのだと改めて感じました。

──アート作品を観る時、通例としてアーティストが何を考えて作ったのかやその内容にフォーカスされがちですが、続編『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』では、アートはアーティストの力だけで成り立つものではないことが描かれていますね。

はい。続編では、多くの人々が目にするアート作品の数々が並べられるまでの舞台裏にもフォーカスしています。キュレーターたちや、額を作る人たちや、国内のアート収蔵先を整理している方などの想いを伺いました。そして出来あがったものを魅力的に解説してくれる美術館のガイドさんにも。たくさんの方々の手を渡ってそこに並べられているプロセスの一部がわかると思います。すると「アートは誰のものなのか?」というひとつの問いに行き着きます。作品を作ったのはアーティストだけど、コレクターが買った時点で、作品の所有権はコレクターにうつります。そしてその作品が美術館に寄贈されたらどうでしょうか?アーティストのもの?コレクターのもの?美術館のもの?」。みんながみんな自分のものだと主張するし、じゃあ、どこまでそれを主張するの?という具合に、ものすごい力のせめぎ合いみたいなものがあるわけですよね。「作品はアーティストのものだ」と主張するアーティストもいるし、自分の手を離れたら自分のものではないと考えるアーティストもいる。続編にも出演しているロバート・バリーは「僕の作品をどういう向きで飾ろうと、それはもう展示する人、キュレーター、美術館のスタッフの意思だし、その解釈も含めて作品の一部だ」と言いますが、リチャード・タトルは展示する場にも立ち会って「この高さで見せるのが一番色に深みが出る」と、その作品の見え方をも含めて作品の一部とする人もいます。それもアートの奥深さであり、みんなが夢中になる理由とも言えます。

──もともとハーブとドロシーにとって作品を手に入れることが喜びだったと思いますが、それらが自宅を出て美術館で日の目を見ることは彼らにとってどう感じられたのでしょうか?

意外とその辺りに関しては、さらりとしていましたね。多分、自分たちの成長した子どもを世に送り出して、世界を旅して戻ってきたら「ああ、なんか随分成長したじゃないか」くらいの感覚ではないでしょうか。固執するところもあるんですよ。寄贈した作品は、絶対に転売して欲しくないとか、収蔵先には必ず「ヴォーゲル・コレクション」とクレジットを入れてほしいとか。つまり、自分たちが集めたものであることは、きちんと明示してほしいという部分にはとても厳しいです。何よりふたり自身が、自分たちのフィルターには絶対的な自信があるということでしょうね。

──50作品を50州に寄贈する「50×50フィフティ・バイ・フィフティ」プロジェクトにおいて、作品を寄贈されることへの関心度には、米国内でも州によって差がありましたか?

あったようですよ。ドロシー本人も言っていましたが、州によって受け止め方が異なれば、反応もまったく違って驚いたようです。州だけでなく、美術館によってもスタンスが違うそうです。普段コンテンポラリーアートの展示が少ない美術館ではNYのコレクションがやってきたこと自体も大変に喜ばれるし、米国アートシーンの一時代を築いたコレクションの価値がわかる理解者がいる美術館では扱われ方も違ってきます。展示に合わせて、ハーブとドロシーを美術館に招き、映画の上映会やパネル・ディスカッションを開いてくれるところもあれば、オープニングのパーティーすらやらないところもありました。それはキュレーターや美術館側の考え方によって変わりますし、地域によっては若者のアートに対する感度もまったく違います。でも、どんな片田舎でも、アートを好きな人たちが集まるアートコミュニティがあるのだということを知ることができたのは、とてもよかったことです。

──州によってアートの育まれ方も受け取り方もまったく違うのですね。しかし、どの国でも本作が一様に受け入れられるのは、ハーブとドロシーのピュアな愛情や熱意に対して、誰もが共感できる部分があるからではないでしょうか?

その通りだと思います。ナショナル・ギャラリーのキュレーターや美術館の館長をはじめとするアート業界のプロたちがどのように本作を観るのかなと思っていました。一般の方たちは割と愉しんで観てくださるし、実際にアートの周辺にいるくらいの方たちが一番喜んでくださるのかなと思っていたんですね。でも、蓋を開けてみたら、アート業界のプロの方々がものすごく喜んでくれたし、その真ん中に居る方たちこそ「アートを身近に感じてもらうにはどうしたらいいのか?」というようなことを常日頃真剣に考え、奮闘し、ジレンマをもっていることもわかりました。前作を観たアート業界のプロの方々が、こんなにもアートを身近に感じさせてくれる映画ができて嬉しい!と喜んでくれて、とても光栄でした。そして、そのふたりの最も近くでプロジェクトを進めてきたナショナル・ギャラリーのキュレーターの方たちからも「本当に素晴らしい!」と褒めていただき、それが前作と続編のふたつの作品を作って、一番嬉しかったことのひとつでもあります。

──ちなみにコレクションの寄贈後も、おふたりの手元に残っている作品はあるのですか?

それについては、是非、続編をご覧になってください(笑)。

──製作自体についてお伺いします。撮影をしてから編集をするまでどのくらいの期間がかかりましたか?

前作は丸1年、続編には8ヶ月ほどかかりました。テレビのドキュメンタリーの世界から見ると考えられないほど長い期間です。テレビは1時間番組でせいぜい1ヶ月、時間をかけても2ヶ月です。ですから、映画だと2年も編集する作品があると聞いてびっくりしました。その編集者のギャラを支払うので倒産しかけましたから(苦笑)。そこが一番大変なところです。 でも、どの編集者と組むのかですべてが変わると言っても過言ではないほど、編集は映画の命に関わる部分なので、そこはケチケチしないほうが得策です。全体の予算を見ながらある程度バランスをとる必要が出てきたとしても、編集者だけは本当に素晴らしい人をブッキングしておかないと、そこで映画の善し悪しが決まってしまいます。

──佐々木監督は普段、どのような編集スタイルをとっていらっしゃるのですか?

ドキュメンタリーの映画の場合には、台本を作ってしまうとその台本に合わせてはめていくような繋ぎ方になってしまうきらいがあって、もともとのオーガニックな流れみたいなものが出にくくなってしまいます。そうなるとせっかくドキュメンタリーなのに残念です。自然な流れを活かすためにものすごく苦労して、1年もかかってしまうわけです。映像のクオリティーとか話の流れは、繋いでみないとわからない。こことあそこを繋げようとか、この話を伝えたいなどと思って期待していても、いざ撮影現場に行ってみたら全然話が違うこともいっぱいあります。テレビのドキュメンタリー制作では、ある仮説を立ててその意図をわかりやすく伝えるために、予定と違うことが起きても意に添うように撮り進める場合もありますが、映画ではそれは嘘になってしまいますから、はじめから台本は作らないことにしています。
まず編集のプロセスとしては、編集者のバーナディンと私のふたりで同時にすべての映像素材を観ます。特にインタビューの部分は停めながら観たりして。前作の編集時は彼女と同じ場所で一緒に観ましたが、続編の編集時には、彼女がNYから車で3時間くらいのところに引っ越してしまったので、離れた場所でしたが同時期に観て、ノートを取り、「ここはこうだったね」「ああだったよね」みたいな擦り合わせをしました。「あのシーンがすごく面白かった」「こんな台詞を言ってたよ」「これ何かに使えるね」などと話しながら、ブレインストーミング(自由な雰囲気で他者を批判せずにアイディアを出し合う議論方法のひとつ)をして、大体の構成を考えていきます。この映画のメッセージはなんだろう?と、答えが見つかるまでは何をしていても常に考えながら、撮影や編集をしています。すごく難しいのは、「Aだと思っていたけどBだった」なんていうこともあるし、「AもアリだけどBもアリだよね」みたいなこともあって、一概には言えません。そこがドキュメンタリー映画の面白いところでもあり、難しいところでもあります。だから、本当に撮った後に編集室に持っていってみなければわからない。繋ぎながら「うーん、どうもこれじゃ面白くない」とか「ここ全然ダメだね」とか「ここもっと何とかならないの?」というプロセスの繰り返しです。しかも続編の製作途中だった2012年の夏、ハーブがこの世を去るという悲しい事態に見舞われます。ここで大きく筋書きが変わりました。そして、編集終了間近の10月頃、意を決して追加撮影を行いました。筋書き変えるとなると、欲しい映像が変わってきます。こんなシーンが必要、あの要素が足りない、このカットを外すなら差し替えるシーンは?などと、最後の最後まで1カット1カットを紡ぐ作業でした。とりわけオープニングのシーンでは、当初予定していたカットでは弱いと判断し、急遽11月の終わりに「ヴォーゲル・コレクション」の展覧会を見にくるこどもたちが乗ったスクールバスから、こどもたちが降りてくる2カットだけを撮りに行きました。そのアレンジだけでも大変な苦労で、バス会社や学校の先生、美術館と何度も繰り返し電話で話しました。それがどんなに大変な作業でも、そのシーンがあるのとないのとではまったく違います。それだけ映画のオープニングのカットは、本当に大切なのです。映画の最初の1分でその映画監督のセンスや力量がわかるので、オープニングは命です。ですから、場合によっては作品の全体像が見えてからオープニングを撮影することもあるくらいです。

──続編『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』では、クラウド・ファンディング(インターネットを通じて一般人から出資を募る活動)で資金集めをなさったそうですね。この手法を選ばれた理由をお聞かせください。

理由は至ってシンプルで、映画作りで最も大変なのはやはり資金集めです。財団に助成金を申し込んだり、さまざまな企業に出資のお願いをして、最終的にはスポンサーがついてくださったりするわけですが、そもそも製作資金がないと撮れないわけです。前作製作時にはクラウド・ファンディングという手法が存在しませんでした。前作発表後、続編を撮り始めた頃、確か2009年の初めくらいだったと思いますが、そのあたりからクラウド・ファンディングという言葉を耳にするようになりました。「Kickstarter」や「Indiegogo」といった主要なサービスを利用して、私の周りにいる米国のフィルムメーカーたちが出資を募っていたようで、彼らから続々と「出資してね!」というメールが届くようになりました。それで「なるほど!こういうふうに集めるんだ!」と思ったのがきっかけです。そこで2011年の秋に私も早速「Kickstarter」を使って、出資を募ってみました。ただ、それが日本で通用するかどうかは未知数でしたし、日本で達成したかった目標金額のほうが米国で募った金額よりも高かったので心配もありましたが、どうせやるならガツンとトライしてみようと思い切りました。目標金額は1,000万円でしたが、日本には寄附文化がないから難しいとか、新しいものや価値のあるエンターテイメントに出資するという行為が日本には根づいていないから無理だよ、などとアドバイスをくださる方も多くいました。しかし実際にやってみると、おかげさまで1,460万円も集まりました。日本だって不可能ではない!と知ることができたのは、今回のクラウド・ファンディングの大きな収穫でした。このたびはSmiles:さんにもご協力いただきまして、スタッフ一同、大変喜びました。本当に有り難うございます!

──出資した個人にとっても、一緒に作り上げるという感覚を共有することができて、とても嬉しいことなのかもしれませんね。また、ほかのアーティストの方々も勇気づけられますね。

そうですね。このことがひとつの事例となってアーティストのみなさんが「じゃあ、自分たちもやってみよう」という気持ちになって、続いてくさればとても嬉しいなと思います。

──佐々木監督は前作のインタビューで「困難や障害にぶつかった時、人間は最もクリエイティブになることができる」とおっしゃっていました。公開前は日本では受け入れにくい題材では?と懸念される声も多かったなか、実際に多くの観客を動員されて、続編ではクラウド・ファンディングという事例を打ち立てました。このように佐々木監督をポジティブに突き動かすエネルギーはどこからくるのでしょうか?

自分の心の声を大切にすること、つまり、自分の心はなんと言っているのかをきちんと聞いて、それをまず「やると決めて」「考えすぎずに」「行動にうつす」だけです。自分の声を無視して周囲の声を聞こうとするから不幸がはじまるのです。それらは大抵、優しい言葉のオブラートに包まれたネガティブなことです。「友だちだから言うけど…」「あなたを助けてあげたいから…」「ハーブ&ドロシーのことを私たちも大好きだし、だからこそ…」。 もちろん本気で心配してくださる方もいらっしゃいますし、そういった貴重なご意見を真剣に聞いて、きちんと受け止めます。時に「本当にそうかな?もしかしたら私が間違ってるいるのかもしれない…」と反省することもたくさんあります。でも、モノを作る現場やプロジェクトを動かしていく時に「いや、これは無理なんじゃないの?」といったネガティブな声は、仕事だけじゃなく、人生のあらゆるシーンで投げかけられます。たとえば、大企業に務めている人が転職したいと相談してきたとします。このまま数十年頑張ればきちんと退職金が出て、安定も保証されていることはわかるけど、どうしてもこれ以上そこには居られないと本人は思っています。でも周囲は、「こんな不景気だからこのまま居なさい」と言うかもしれません。このようにいろいろなチャレンジをしようと決めた時に、そういった声がたくさん聞こえてくるわけです。こういう時は、自分が試されている時です。「本当に自分の信じることをあなた自身がきちんと信じてる?」というテストなのです。ですから今では、逆の意見を助言されればされるほど「だいじょうぶ!」と思えるようになりました(笑)。
でも今回の続編の製作過程で一度「やろう!」と決めて、たくさんの人を巻き込み、けしかけておきながら、「これは違う!」という結論に辿り着いたことが何回かありました。どちらかと言うと、自分がやろうと決めてやり切ることは学んできたつもりでしたが、踏みとどまったのは初めての経験でした。そこでハーブとドロシーに言われた言葉を想い出しました。それは「作品が認知されればされるほど、あなたの周りに隠れた地雷がどんどん増えていくから、くれぐれも踏まないように気をつけなさい」という助言でした。その地雷はさまざまな形でやってきました。映画をヒットさせるためとか、こうすると収益になるとか、誰々から支援が入るとか、いろいろな方があらゆることを言ってくる。でもそのたびに、肝に銘じて立ち止まるようにしています。この選択をすることで、大切なことを犠牲にしてないか?今はいいかもしれないけど、長い目で見た時に、自分にとって、映画にとって、周りの人にとって、良いことなのか?と。「じゃあ最初から考えてよ」という声が聴こえてきそうですけど(笑)。元来すぐに飛び出してしまう性格なので、みなさまにご迷惑をおかけしている部分も多々あると思います。でも立ち止まるべき時には、カンカンカンカンと心のサインが鳴り始めるのです。そういう時には素直にやめるようにしています。

──佐々木監督が何かに行き詰まったりする時になさっていることがあれば教えてください。

いくつかありますが、まず運動をすること。私の場合はビクラムヨガというホットヨガですが、40℃以上ある室内で90分間大量に汗を流すというものです。これを10年以上やっていて、ビクラムヨガをやっていなかったら映画は作れなかったと思います。それほど映画作りはタフじゃないとできません。身体を鍛えなければ、精神も弱ってしまうし、病気をしないようにする努力が必要です。だって、万が一倒れでもしたら何日も時間をロスしてしまうし、いろいろなことが止まってしまいますから。無理を重ねて、がむしゃらに突っ走るのではなく、それこそスープを作るとか、ランチにお弁当を持っていくとか、運動をするとか、地道な作業ですが健康管理はとても大切な条件です。あとは、よく瞑想もしますが、もうひとつおすすめなのは「Morning Pages」という書籍が薦めているワークで、朝起きて30分以内に頭のなかにあることをただひたすらノートに3ページ書き出します。それは文章が美しいとか面白いかどうなど関係なく、脳の排泄処理みたいなものです。とにかく頭にあることガーッと書き出すのです。すると書いているうちに、迷っていることの答えがスラスラと出てきたりすることもあります。頭のなかで考えていることがあると、ペンを持ってもジーッと考えてしまいます。でも手を止めずに動かして、とにかく紙に書き落としていく。「書く」という行為に置き換えるだけで、とても効果の高いヒーリングになりますよ。迷った時、考えすぎてしまった時には、ぜひやってみてください。

佐々木芽生/ささきめぐみ

監督、プロデューサー。青山学院大学仏文科卒。1987年渡米後、NY在住。1990年よりフリージャーナリストとして活動。1992年NHKニューヨーク総局に勤務。1996年独立し、テレビドキュメンタリーの取材、制作に携わる。2002年株式会社ファイン・ライン・メディア・ジャパンをNYにて設立。2008年、自身初の監督・プロデュース作品「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」を発表。世界30か国を超える映画祭に正式招待され、6つの最優秀ドキュメンタリー賞や観客賞を受賞。2009年6月、NYでの封切り後、全米60都市100以上の劇場や美術館で公開され、海外でも配給。日本では2010年11月に渋谷のシアター・イメージフォーラムにて公開。歴代2位の興行成績を収めた。その後、日本全国約50館にて公開。 捕鯨問題をテーマとした長編ドキュメンタリー映画「THE WHALE MOVIE」の製作に向けて取材中。

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