Soup Friends

Soup Friends Vol.51 / 森 淳一 さん

約1年に渡り岩手県奥洲市でロケを行った映画「lillte forest リトル・フォレスト」は漫画「リトル・フォレスト」(五十嵐大介著)を原作に描かれた前後編の二部からなる作品です。この2月に公開される「冬春編」を前に監督の森淳一さんにお話を伺いました。山奥で暮らす、主人公いち子(橋本愛さん)が自給自足の暮らしの中、食べることを通して生きることそのものに向き合っていくストーリーは、私たちの日常生活に置きかえることはできませんが「自分の生きる道」を選び取るという意味では、ヒントが隠れているのかもしれません。ともかく見ていて、お腹が空く映画!どんな撮影苦労話が飛び出すのでしょうか。

──スープはお好きですか?

はい、二子玉川のお店にもたまに行きますよ。スープは好きで、自宅でも妻が作るトマトベースの野菜がたっぷり入ったスープを食べます。また、韓国に仕事にいくときに参鶏湯が好きで決まって食べていますね。

──「リトル・フォレスト」について、どのような経緯で映画化に至ったのかお教えください。

もともと原作の漫画は数年前に読んでいたのですが、その時に映画化したいとは思わなかったんです。のちのち、今回のプロデューサーに一緒に映画にしてみないかと持ちかけられたんです。もともと、原作は「食」がメインだし、ストーリーに起承転結があるわけではないので、難しさはあるものの、春夏秋冬を丁寧に撮っていくということで新しい分野の映画になるんじゃないかと意思が固まっていきました。さすがに興行の事情などで4部作は難しいまでも、前後編に分けてじっくりと季節を描いていくことができる二部作で撮ることが決まりました。

──物語の舞台である「小森」をイメージした場所はありましたか?

僕の出身は東京で、原風景になるような重なる田舎の風景は持っていませんでした。どちらかというと都会の高速道路やジャンクションを描くことが多かったですから。けれど原作者である五十嵐さんが数年暮らしながら描かれたというその土地(実際は大森という場所)を訪れてみると、やはりここでなければ撮れないと思いロケ地を岩手県に決めました。

──森監督の作品「ランドリー」「重力ピエロ」ともに描かれている共通のシーンに「食卓」があるのはなぜでしょうか?

もともと原作にない場合でも、必ず食卓のシーンを描いています。自分のなかでは、「幸せの象徴」として描いていることに気がつきました。おいしいものを笑顔で食べているという瞬間、これが僕にとっては幸せの象徴なんです。食べている顔っていうのは、人がいちばん油断しているので、その人の人間性が一番出るんです。

──映画なのにレシピ本のようだと感じました。撮影で工夫した点はありましたか?

おそらく料理上手の方はなにげなく見ていても作れる内容だと思いますが、そうもいかない方のために、カット割りやナレーション、スピード感など見やすいように工夫しました。撮影のために何度も食事を作ってもらったのですが、いわゆる料理番組のようにおいしいことを強調する撮り方は避けました。みなさんが日常的に目にしている料理の姿に近づくように映し出しました。それから実際に食べるおいしいものを、そのまま撮りました。(撮影用のダミーではなく)おいしさが画面を通じて伝わってくるのです。緻密に料理についてイメージをしたわけではなく、フードコーディネイターの野村友里さんが作る料理をや作り方をみて、その過程によって撮影方法を変えたり、アングルをや芝居を変えたりまさに、作りながら撮り方を変化させていきました。

──撮影現場ではどんな食事をしていましたか?

撮影で使ったものももちろん食べましたが、基本的には地元の皆さんがまかないを作ってくださいましたので、岩手県の郷土料理を食べていました。しかし、単純におにぎりひとつがとってもおいしいんです。こんなにおいしいのか!って毎回感動していました。登場したレシピのなかでも印象的だったものは、くるみご飯と凍み大根ですね。冬の間凍らせたのち干して乾燥させた大根なんですが、これを水で戻して出汁で煮るだけでとってもおいしいんです。大根の奥深さを知ることになりました。思わず、妻の実家に送ったほどです(笑)。

──撮影や撮影生活を通して、田舎で過ごした体験はいかがでしたか?

食に対する想いは変わっていきましたね。ゴール地点で食べていたもののスタート地点を知ったことはすごく大きなことです。小豆畑で蒔いた豆が、育って収穫して選り分けてようやくお汁粉こになっていく。これだけ時間と手間がかかるということをを、初めて知ったのです。生きものを殺していただくということだけでなくて、農作物においても同じことです。小豆なんてほんの小さなひと粒ですが、とても長い時間と手間がかかっていますからね。そういった小さな営みを春夏秋冬かけてじっくり撮ることができたのは、貴重な体験になりました。

──春夏秋冬の長い撮影。どんな苦労がありましたか?

偶然にもカメラマンが、岩手のこの辺り出身だったんですよ。だからこそ、自然の微妙な、けれどあっという間の移ろいをカメラにおさめることができました。例えば、降り積もっていく雪や、黄色から赤に変わっていく紅葉。新緑の緑とそのあとの濃い緑なんかも。それから動物なんかもそうですね。狙っていれば撮れるものではないので、現地での偶然と、地元の人間ならではの嗅覚とさまざまなタイミングで撮影できた瞬間の集積です。

──森さんの頭のなかは、伺っていると映像やシーンが浮かんでくることでできているような気がします。役者さんとの演技のすり合わせ方法はどうされるのですか?

今回もいち子(橋本愛さん)と演技を共有する場合は、「とにかくやってみましょう、そして見てみましょう」から始めるんです。やる前にいろいろ決めるのがあんまり好きじゃないのかもしれないですね。通常はカット割りっていうものがあって映像の設計図を作るのですが、今回は、現場に彼女が入って、そこではじめて「さあじゃあ、何を撮ろうか」とその場で考えながら進めていきました。それは、起承転結がはっきりしている物語ではなく日常の情景を映し出すような物語だからかもしれません。また、僕は「偶然性」を大事にしたいと思っていて。僕が想像もしていてない演技をしてくれたり、想像していない光が差し込んできたり。そういうことが起こるのです。今回も猫が現れたんですね。もともとは動物プロからわざわざ連れて来る予定だったんですけど、それがどうしても嫌で。そしたら現れたから嬉しくなって、その猫を撮影したんです。夏だけでなく、その後今回の冬春編のときも来てくれて。そんなことも、ある種作品の味になっていくんですね。偶然性が生きてくる種類の作品だったかもしれません。

──物語の最後にいち子も自問自答する「田舎に住む」こと、は監督はどうお考えですか?

田舎暮らすということは、実際に住むとなるとそう簡単なことではないな、と思います。楽しいし美しい景色だしいいことも沢山あるけれど、そこにある独特の人間関係に向き合わないといけないのも事実。けれど人と関わっていくということは、実は舞台が田舎に限らずどこで生活しても直面することなんです。だから誰にでも置き換えられる事だと思います。一方で今回のロケ地では本当に過疎化を感じました。休耕地もたくさんあるし、人も少ない。だからといって、僕が若者に帰ってこいとは言えないけれど、あの場所で作っているものが日本の食卓を支えているという事実を考えるともどかしいですね。都会のような大型店やエンターテイメントを持ち込めばいいかというとそれでは本質的には解決しないでしょう。田舎で、多少の物足りなさがあっても、そこで得られるさらにいい時間や、手間がかかってもおいしさがあるということを、知ることがひとつの方法かなと思います。
田舎に暮らすということがこんなに楽しくて、こんなにもドキドキすることなんだと知ってほしいと思うんです。都会がイルミネーションで彩られる美しさもありますが、田舎の星空や、夕暮れの空や、そんな景色が実は上回る価値なんだということを、この映画を通して再認識してくれたら作った甲斐がありますね。

──ここに描かれるレシピの豊かさも、ひとつの希望ですよね。

確かにそうですね。食材が限られていてもレシピを知っていれば楽しさは広がります。そして旬の食材の採りたてのおいしさを味わえる、というのは変えがたい幸せなんです。

──森さんの原動力はなんですか?

やはり、家族ですね。家族がいるからつまらない作品は作らない。子どもがいつかみて、いいなと思えるような作品を作りたいと思っています。堂々と一生懸命作ったものを、見せたいんです。

──作品を作りたいと思うきっかけってどんなところにあるんですか?

考えや発想を膨らませたりする時間としては、食べながら考えたほうが膨らんだりまとまったりすることってありますよね。日常のなかで、電車で横に座った人の様子をみて思いついたり、生活のなかのシーンや情景から発想していくことが多いんです。毎日のなかで思いついたことを書きためていって、少しずつたまっていったら映画として形になる時がくるという感じです。時間がかかるかもしれませんが楽しみにしていてください。

森 淳一(もり じゅんいち)

映画『リトル・フォレスト』より
映画監督。東京生まれ。テレビドラマの助監督を経て、自身の脚本『Laundry』が2000年サンダンス・NHK国際映像作家賞 日本部門を受賞、同作品で監督デビュー。その後、伊坂幸太郎原作の「重力ピエロ」を監督するなど、精力的に作品を世に送り出している。

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