Soup Friends

Soup Friends Vol.82 / 壱岐ゆかりさん

明治神宮前の路地裏でフラワーショップ「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS / ATELIER」を営む壱岐ゆかりさん。20 代の頃は仕事に忙しく、花に目を向けることも少なかった彼女が、花を扱う仕事に就くまでになった経緯とは?お話を伺っていくうちに、思い込みで凝り固まった「自分らしさ」にとらわれず、のびのびと生きるためのヒントが見えてきました。

──花屋になる前はどんなお仕事をされていたのですか?

アメリカの大学を卒業後、8年間ほど家具を扱う会社でマガジンを作ったり、外国人デザイナーの担当になって昼夜問わず対応したり、新店舗の店長を任されたりと、さまざまな経験をさせてもらいました。当時は食事の時間すら惜しくて、つまめるお菓子が昼食代わり。その後、ファッションブランドを扱うPR会社に転職し、5年後に独立し、PR兼卸売業をしていました。

──忙しい日々を送っていたのですね。その頃、花はどんな存在でしたか?

インテリア会社時代は、ショップに飾るための花を日常的に選んでいましたが、忙しさのあまり、私自身は花を持ち帰っても、その花を見て一息をつくほどの余裕もなく。花を生ける機会は多かったのですが、特に花が“好き”というわけではなかったんです。「花があると心にゆとりが生まれる」なんて言うけれど、それ以前に、自分が生きていくことに精一杯でしたね。

──そこから、どんなきっかけで花屋になったのですか?

私の仕事は、ブランドを広報して軌道に乗せるというものだったので、永遠に一緒に出来る仕事ではなかったんですよね。趣味嗜好を含めた私の人間性を知ってもらい、仕事と別に関係性も築いていきたかったんです。そんなときに、出張先のニューヨークで理想の花屋を見つけました。デニムを売る店の片隅でドライフラワーと少しの生花を売っていて、その日の気分でオープンしている肩肘張らない感じに惹かれました。ちょうど良い空き物件も見つけて、半年後には週末だけ店を開くスタイルでオープンしました。花に触れると所作が美しくなるかな、パワーが戻るかな、とか。そのとき求めていたものとタイミングとが重なり、私は花屋になったんです。

──当初は兼業されていたんですよね。

そうなんです。ニューヨーク時間に合わせて深夜0時からPR業の対応をしながら、早朝に市場へ行って花材を仕入れ花屋を営んでいました。そんなときに結婚と出産も重なってしまい、24時間体制の日々に。担当していたプロジェクトで区切りがついたこと機に、PRの仕事を辞め、花屋一本になりました。

──お子さんとの時間もなかったのでは。

当時は、朝出かけるとき子どもに大泣きされていたし、母親としても自信が持てず、自分だけがダメだと思っていました。今は、チームに頼れるようになったのでだいぶ楽になりましたね。そして、子どもに対するスタンスも変わりました。「ママは仕事だからごめんね」と謝っていましたが、楽しそうに仕事する姿を見せようと思って。構ってくれなくても楽しそうなお母さんだったら、大人になっても尊敬出来ると思うんです。息子が大人になったら一緒にバーに行けるような存在になれたらな、と今は思っています。

──花を枯らしていた頃の自分に、今の壱岐さんが声をかけるとしたら?

うーん、何も言わないかもしれないです。「花はいいよ」とか「買いなさい」って言われたら余計にイラッとしたと思うんです。ただ何も言わずに、花をあげるかな。姪っ子にあげるような感覚で、春だからチューリップを、みたいに。花をもらっていた行為が記憶として残れば、多少なり花が身近になると思います。自然の中にある花の色で、微妙な風合いを感じてほしい。きれいだけど壊しちゃいけない、尊いという感性も育める気がしています。

──誰かに渡すための花束を作りたいとき、どんなことを伝えたら、素敵な花束を作ってもらえるでしょうか。

「ロマンチックでアニメ好き」とか、相手のイメージを伝えるだけでも随分違うと思います。趣味嗜好とか、いつも着ている洋服の色とか。言葉から花への翻訳が好みな花屋を見つけることが出来ればベストですね。

──生活する上で大事にしていることは?

壱岐ゆかり(いきゆかり)

「THE LITTLE SHOP OF FLOWERS」主宰。アメリカの大学を卒業後、インテリアショップIDEE/SPUTNIKへ就職。PR業のかたわら花屋をオープンし、現在はレストラン「eatrip」と併設するアトリエ店舗のほか、「6 BEAUTY & YOUTH」へも出店している。日々の小さな贈り物の提案から展示会やパーティ、及び商業施設などのスタイリングも手がける。

ストーリー

一覧をみる