Soup Friends

Soup Friends Vol.88 / 千足伸行さん

これまで国内の数多く美術展で監修を務め、成城大学名誉教授・広島県立美術館の館長である千足伸行さん。美術を社会と響き合う存在として捉え、独自の切り口から作品の本質に迫る論考を発表されてきました。数えきれないほどの作品と向き合ってこられた千足さんに、アートとの付き合い方についてヒントをいただきました。

美術に魅了されたきっかけはなんですか?

私の場合、きっかけはささいなことなんです。中学生の時分に、百科事典のイギリス美術のカラーページを何気なく開いたんですよね。そこでウィリアム・ターナーの代表作の一つである「解体のため錨びょうはくち泊地に向かう戦艦テメレール号」を見てぐっと引き込まれたんです。それがきっかけで西洋の絵も見るようになりました。今ほど、美術展が日本でたくさん開かれる時代ではないので、紙上で楽しんでいました。社会人になって、最初はテレビ局勤務でしたが、学部卒の卒論がきっかけで美術館にお声がけいただきました。今でも珍しいケースですね。“美術館で本物を見て圧倒的な感動を覚える”体験をしたのは、社会人留学でいったドイツでのこと。30代になってからでした。帰国してから、そのあとは10数年国立西洋美術館で働く日々。42歳の時に大学教授として教鞭をとるようになり、その後、美術館の館長となり、今は、美術展の監修などをしています。

フェルメールはどんな画家だったんでしょうか?

17世紀以前は、宗教画と神話画が絵画の多くを占めていました。誰かが殉教したり、神話や寓意を直接的に描いているので、一枚の絵に「ドラマ」が展開するんです。それに対し、フェルメールが描いたのは「風俗画」、つまり日常の情景で、その絵だけで大きなドラマの展開は望めない。“ドラマ”を感じさせない、寡黙なイメージでしょうか。そこにある「ありのままの日常を捉える」では、ドラマ性が乏しいだけに、どう見せるかが肝になるわけです。「日常」を作品に仕立てたフェルメールは、時代に求められたことよりも、自分の描きたい身近な世界を描いていたんだと思います。

「牛乳を注ぐ女」について、どのようにご覧になっていますか?

フェルメールの作品の特徴は数多くありますが、この作品は特に「日常の風景をこう切り取るか」という驚きがありますね。色一つとっても非常に緻密に選ぶ。言葉としては「青」とか「黄色」と一口に言ってしまうけれど、実際は無限のニュアンスがある。例えば、「牛乳を注ぐ女」のメイドの着ている服と、「手紙を書く女」でのアッパーミドルの階級の奥さんが着ている黄色は明らかに違う。前者はすこし洗いざらしの布ですし、後者はサテン地のような光沢となめらかさがあるんです。とても引き込まれるものがあります。

フェルメールらしいな、と思われるポイントはありますか?

構図の洗練という部分が興味深いです。どこに誰を、何を置くか、ということですね。フェルメールの場合、1人か2人を描く絵が多いのですが、人数が少ないということは、一見簡単そうに見えて、実は難しい。なぜかというと、印象を与える要素が絞られているので、ほんの少しの狂いが作品全体に大きく影響してしまうんです。この絵はこの女性に光が当たるように、特に試行錯誤の末の洗練があると感じます。

フェルメールの人柄について、読み取れることはありますか?

画家の多くは一つの作品を描くために習作を描くわけですが、フェルメールだけでなくオランダの画家はほとんどそういったものを残していないんです。この作品をX 線で見てみると、フェルメールがかなりの回数描いたり消したりしたことが見えてくるんです。他の画家もそういった試行錯誤はするけれども、そもそもフェルメールは作品の数も決して多くないタイプなんですね。そう考えると、フェルメールは慎重な性格で、いわゆる完璧主義者だったのかもしれないということを絵から感じて、「人」としてのフェルメールが浮かび上がってきますね。

アートと付き合うためのいい方法は、あるんでしょうか。

美術作品の見方に、これが「正解」ということはないと思うんです。ただ基本はやはり数多く見ることですね。本で言うなら、乱読です。数多くといっても、全てが自分の琴線に触れるわけでないですよね。だから、一種のお見合いだと思うと気が楽なんじゃないかなと思います。こちらじゃなくて、こちらがいいわ、なんてね(笑)。相手が人間だったら傷つくと思うけれど、絵の場合は、絵が泣き出すわけじゃないし、そんな中で自分が「好きだ!」と思った作品については、自然ともっと知りたくなると思うんです。画家の名前だけでなく、絵の背景や当時の人々は何を食べていたのかとか好奇心が湧いてくる。頭でっかちにならずに、自分の「好き」に正直になって楽しんでみてほしいですね。

千足伸行せんぞくのぶゆき

1940年、東京生まれ。東京大学文学部卒。TBS(東京放送)を経て国立西洋美術館に勤務。1970-72年、西ドイツ(当時)政府給費留学生としてミュンヘンに留学。帰国後、西洋美術館に復帰。1979年、同館を辞し、成城大学文芸学部に勤務、2011年3月、同大学を定年退職し、現在同大学名誉教授、県立広島美術館長。主な専攻領域は近代の西洋美術、特に印象派から象徴主義、アール・ヌーヴォーなどにいたる19世紀後半の美術。[主な著書]「新西洋美術史」(西村書店)、「アール・ヌーヴォーとアール・デコ:甦る黄金時代」(小学館)、「もっと知りたいミュシャ」、「キリスト教絵画の見方」(以上東京美術)、「交響する美術」(小学館)、「ゴッホを旅する」(論創社)ほか。

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