Soup Friends
Soup Friends Vol.94 / Kazunori Hamana
アンチョビソース「セグロのクサレ」を製造する漁師でもある浜名一憲さん。
原宿カルチャー黎明期にスニーカーや古着の販売をしたりと、
楽しい経歴の浜名さんがいまの生き方を選んだ理由とは。
目前に房総の海が広がる素敵なご自宅兼アトリエでお話を伺いました。
とてもユニークな経歴ですね。
自然のものや古いもの、手触り感があるものが好きだったようです。
スーパーカーより町工場の古びた小型トラックが好きで、自然に入ると自分の中の「おたけび」を感じていました(笑)。
10代になり、自然農法に興味をもったのですが、当時の日本では大量生産が主流。
色々調べた結果、北カルフォルニアの大学でオーガニックな農法が学べると知り留学しました。
ただそこでシェアメイトから日本の文化や歴史のことを聞かれてうまく答えられなかったんですよね。
「日本を知らない」ことにコンプレックスを感じたんです。
このままアメリカにいたらコンプレックスが膨らむと思い、日本に一旦帰国しました。
帰国後に、アメリカで出会った古着を売るフリーマーケットをしたんです。
私は当時から、リーバイスの501などのデニムを、“骨董”のような見方で見ていました。
それらが持つ、着ていた人の時間軸のようなものに魅かれていて。
当時はまだそういった品を扱う人も少なく、販売してみると結構売れて、手ごたえを感じました。
そこで出た儲けを元にスニーカーショップを構えた頃、時代はちょうどスニーカーブームの真っ只中。
いち早く仕入れられるルートをもっていたから一瞬で売れていました。
でもそんな喧噪の中で自分が好きなものと求められるもののバランスが取れず、トレンドだけを追いかけるのがすこしダサく思えてきてしまって。
20代後半、インターネットも普及してきて、東京にいなくてもいいなと思って、
海や湖のそばを探している中で、千葉のこの家を見つけて越してきたんです。
色々あって東京の店も畳みました。
そこから「セグロのクサレ」を作ろうと思ったきっかけはなんでしょうか。
そのなかでイワシはすごくおいしいのに二束三文で売られていて、正直あまり活用されている様子はなかった。
これはなんとかしないといけないと思ったんです。
色々調理する中で、ある時アンチョビを大量に漬けたんですが、アクシデントで何日か放置してしまって。捨てようと覚悟して蓋を開けたらとてもいい匂いがして、パスタにしてみたらものすごくおいしかった。うまく発酵していたんですね。
その事をきっかけに色々調べたら古代から日本の沿岸では魚醤づくりをしていたという背景もあり、
地域資源の活用で自然とのつながりも感じられる。
やりたかったことの片鱗が見つかったような気がしました。
陶芸とアンチョビソースづくり、何か共通するものはありますか。
もうひとつは人々が暮らして毎日を紡いでいるその時間軸、どちらもそういったものを伝えたいと思って作っているのかもしれません。
例えば僕が作る壺は、大きくて有機的で少し人の形にも近い。
時間も沢山かけて、二つと同じものはできない。
大量生産、大量消費のスーパーカウンターパンチとなるようなものを意識しています。
アンチョビソースを手探りで作ったように、陶芸も独学でした。
公民館の無料セミナーで、おじいちゃんおばあちゃんに混ざって陶芸を習い、教わった通りにしないで先生に怒られたりもしました(笑)。
東京での生き方と比べて、ここでの生活はいかがですか。
その時に「心の満足」はなかったんです。
いまはここでひとりで海を見ながら暮らしていても寂しいと思ったことは一度もないですね。
自然に家族や友達のような源泉的なものを感じているからかもしれません。
東京で感じるような寂しさの正体は実は自然から離れているからじゃないかなと思っています。
朝日を見て落ち込む人はいないじゃないですか。
東京では夜は喧噪だけど朝は落ち込んで昼はちょっと疲れてる(笑)、
でもこっちは朝と昼が楽しく、夜は寝る時間です(笑)。
これからはじめたいことはありますか。
完全無農薬の有機米を届けようとしています。
大量消費への疑問など、社会に対してただ声高に伝えるだけではない方法を色々やっていこうと思っているんです。
僕は世の中の誰もがアーティストになれると思っています。
「体験の時代」というけど、本当になんでも自分で作っていくといいと思いますね。
●Kazunori Hamana Official Instagram https://www.instagram.com/kazunorihamana/
お詫びと訂正
浜名一憲様の商品名に一部誤りがございました。正しくは「セグロのクサレ」となります。
お詫びして訂正いたします。