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旅先オランダ 運河の都・デルフト

スープフェルメールに思いを馳せた、マスタードのスープ

旅人林綾野(キュレイター/アートキッチン代表)

「すばらしい画家も、私たちと同じように生きる、ひとりの人間」

フェルメールと聞けば、多くの人が「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」などの絵を思い浮かべるだろう。興味のある人は、一七世紀の豊かなオランダに生き、多くの子どもを持った画家だ、などと思うかもしれない。しかし、フェルメールがどんなものを食べていたか、想像しうる人はいるだろうか。

林綾野さんは、フェルメールの暮らした街を歩き、食事や生活の手がかりを集めることで、画家の後ろ姿を見いだそうと試みた。そんな旅で出会ったマスタードのスープが、とても印象深いという。

季節は、からりと乾いた夏。

オランダらしい食べ物を求めて、訪れたカフェだ。冬に旅をしていれば、コーヒーの代わりにスープを飲むことは珍しくない。しかし、いくら土地らしいとはいえ、暑い季節の昼間にスープをとるのは気が進まなかった。

そこに運ばれてきたのは、ヨーロッパらしい白磁器のボウル。黄色いポタージュのような見た目だが、ひとさじを口に運んで驚く。クリームにマスタードが混ざり合ったスープは、ほどよい酸味がとてもさわやかだ。画家の調査で歩きまわった疲れが、すっと癒やされるように感じられた。

マスタードは、オランダではよく使われる食材のひとつだという。もちろん一七世紀にも存在していた。小麦粉、バター、生クリーム、塩こしょう、そしてマスタード。日本人にとって身近なレシピではないけれど、奇をてらった素材でも味つけでもないそのスープに、林さんはすっかり心を奪われた。

スープを通じて、
フェルメールという人間に出会う

食を通じて画家の横顔を見つめていく作業は、途方もないけれど楽しい。

たとえばゴッホは、生涯を通じて多くの手紙を残した。けれど食べものについての記述は少なく、かえって執着のなさが伝わってくる。かたやロートレックは、裕福な貴族の家庭に育った美食家だ。ちりぢりに残されたヒントを追いかけて、画家の暮らしや考え方、ものの見方に思いをめぐらせ、その芸術作品へと収束させていく。

フェルメールが生きた時代のオランダでは、食事は手づかみでとるのが基本だった。つまり、あれほど繊細な光の美しい絵を描いているのに、食事どきのフェルメールは、手をぎらぎらに汚していたことになる。食べものと絵の具の油にまみれて、彼の手はいつも光っていたのだろう。

緑豊かな運河の町で、妻子や義母とともに生活していたフェルメール。

多くの子どもにめぐまれて、慌ただしい日々を送っていたかもしれない。

家のなかは、地元で焼かれた名物タイルに、美しいトルコのタペストリーに彩られていた。

記録によれば、絵を描くほかに画商の仕事をしたり、周囲とお金の貸し借りもあったようだ。

そんな暮らしにおいてときどき、素朴なマスタードのスープを味わったのだろう。

「すばらしい芸術作品は、どこか得体が知れないように感じることがあります。でも、フェルメールも私たちと同じ、ひとりの人間。そんな彼がなしえたものだからこそ、とても尊くて愛おしいんですよね」と、林さんは振り返る。

記憶を手繰り寄せる、
再現レシピ

旅先で出会ったお気に入りのメニューをもう一度食べるには、その場を訪れるか、自分でつくるしかない。地元の人にはなんてことのないレシピでも、その土地にしかない食べものや、旅人にとってサプライズな味は、少なくないのだ。

林さんも、オランダのマスタードスープをしっかり覚えておきたくて、日本に戻ってから再現してみた。材料の配合をさまざまに整えながら、繰り返し手を動かして、記憶の味に近づけていく。結局、マスタードは大さじ五杯。こんなにも大胆に使うなんて、はじめは想像もつかなかった。

これだと思えるレシピを探し当てて以来、彼女は年に数回、そのマスタードスープをつくる。デルフトのあのカフェに戻ってみれば、本当はまったく違う味わいかもしれないけれど。オランダを旅した十年前の夏は、この一杯を通じてありありと思い出せるから、もうそれでかまわないのだ。

旅人のプロフィール

林綾野

キュレイター/アートキッチン代表。美術館での展覧会企画を手掛ける傍ら、アートと食の新しい融合を目指した著述業および料理制作を手掛ける。主な著作に『フェルメールの食卓』『ロートレックの食卓』、『ゴッホ 旅とレシピ』など。