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旅先モナコ、マニラ、上海、パリなど

スープ世界各国で食べるお味噌汁と、フィリピンの国民食・シニガン

旅人村上恵美子(NHK「世界入りにくい居酒屋」プロデューサー)

「ふくよかで、味が濃くて……最高のあさりは、モナコにあったんです」

村上さんが二〇一四年から手がけている「世界 入りにくい居酒屋」は、知る人ぞ知る世界中の名店を紹介するTV番組だ。東京にいては食べられない、ディープな地元の料理が次々に登場する。食べたこともなければ、想像もつかないメニューに出会えるのが、とにかく面白い。

撮影するお店は、下見の旅で決めていく。村上さんとディレクター、現地のコーディネーターの三人。六泊八日で二都市をまわることが多い。

運よく一日目ですべてのお店が決まれば、あとは景色のロケ地を見繕うだけだから、観光気分も味わえる。けれどそんな幸運はめったにないため、村上さんは友人に各都市の見どころを聞かれても、うまく答えられない。覚えているのはだいたい、さまざまなお店の看板と地元の市場だけだ。

モナコで出会った、
世界一おいしいあさりのお味噌汁

撮影中は、昼も夜も居酒屋メニューを食べる。胃がもたないから、せめて朝食はあたたかいごはんと汁ものをとりたくて、いつもキッチンのあるホテルを探して自炊していた。

とくに、モナコでつくったあさりのお味噌汁が忘れられない。オフシーズンのさびれた養殖所で育てられた、大ぶりのあさり。大きな箱にたっぷりと買い求めて、お味噌汁だけでなくワイン蒸しにもした。人生で幾度も食べてきたあさり汁の、どれよりもおいしい。ぷっくらとふくよかな身に、海の恵みが濃縮されている。日本から持ってきた昆布をすこしくわえただけで、あとはなにもいらないほど、深い味がした。

上海では、フレッシュなふくろ茸のスープが印象深い。日本なら缶詰でしかお目にかからないような食材が、新鮮なまま市場に山積みされているのは、見ているだけでもお腹が空く光景だ。パリも市場がにぎわっているため、めずらしい野菜をいそいそと選び、卵でまとめた。オーソドックスなかき玉汁だけど、なじみのない野菜たちが浮かんでいるだけで、楽しみが増す。隣には、ちょうど旬だったグリンピースの豆ごはんを添えたっけ。バレンシアでつくったお味噌汁には、紫色の桜貝も入れた。

「朝は絶対に、汁ものが食べたいんですよね。子どものころからの習慣だから、それがないと一日がはじまらない」と、村上さんは言う。スープなら食材を選ばないし、起き抜けの胃が温まるのがうれしい。スタッフみんなで同じ朝食をとるだけで、「今日も一日がんばろう」と士気も上がる。

それに海外居酒屋ロケは、続けてお酒を飲むのがつらかったり、土地の食べ物が合わなかったりして、摩耗するメンバーが出てきやすい。そんな子たちもスープだけは飲んでくれるから、と、村上さんはまるで母のようにやさしくつぶやく。

するどい酸味がやみつきになる、
フィリピンの国民食

村上さんが海外で探すのは、ローカルの居酒屋だけではない。つい先日も、代表的なフィリピン料理を求めて、マニラの市街地をまわった。

フィリピンのレストランでは、なんとなくスープを頼まなければいけない空気がある。おかずだけを選んでいると、何度も「スープは?」と尋ねられた。なるほど、たしかにスープのラインナップは豊富で、何種類も並んでいる。村上さんが選んだのは、フィリピンの国民食ともいえるスープ・シニガン。テーブルにどんと、小さな鍋が置かれた。

野菜やエビがたっぷり入っているけれど、スープはもう、とにかく酸っぱい。ひたすら酸味をアピールしてくるのは、トロピカルフルーツ由来の調味料・タマリンドだ。口にするたび「すっぱい!」と声をあげそうになるけれど、ほかのおかずを食べているとまた、シニガンの鍋に戻りたくなる。後を引く味なのだ。

フィリピン人は、スープを飲むというよりも、ごはんにかけて食べる。白いごはんをたらふく食べられるのが、いい料理の条件のひとつなのだろう。それは、漬け物や梅干し、海苔を並べる日本食にも、どこか通じるところがある。すっかりフィリピン料理が気に入った村上さんは、シニガンもつくれるような小鍋を買って、帰国した。

日本を遠く離れれば、お味噌汁が恋しくなるけれど。旅先でいいスープに出会えば、今度は日本からその土地を恋しく思う。帰国したばかりなのに村上さんはもう、フィリピンに行きたくてたまらない。

旅人のプロフィール

村上恵美子

番組プロデューサー。地元の人しか知らないディープな名店を紹介する番組「世界入りにくい居酒屋」(BS プレミアム)などを手がける。番組ウェブ サイトでは、過去の料理コラムなども公開中。